小林幸子について

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セクシャルダイナマイトヒロイン03 グラマラスレディ



今回ご紹介する『セクシャルダイナマイトヒロイン03 グラマラスレディ』について簡単にご説明いたします。



この作品のあらすじは・・・・・



アマゾニアン王国の王女グレイスは、日本で女捜査官大那魅麗として生活しながら、凶悪な敵と戦うときはグラマラスレディに変身して戦う日々を過ごしていた。そんなある日、一人の女が捜査中の魅麗を打ちのめし去っていく。その後、同僚の鳥羽の携帯から鳥羽を人質に取ったという女から電話がかかってくる。鳥羽を助けるためにグラマラスレディになって呼び出しに応じた魅麗。その前に現れたのは、この前魅麗を襲ったスクラルドと、彼女の仲間のヴェルードとウルラドだった。鳥羽を人質に取っているが、一対一で戦うことを望むスクラルドから、スクラルドたちがダークアマゾニアン一族であること、アマゾニアン王国を壊滅させたことを聞かされたグラマラスレディは、怒りでスクラルドと戦う。だが、冷静さを取り戻し、まずは鳥羽を助けることを優先して供に脱出する。しかしヴェラルードとウルラドに懐柔されていた鳥羽にクロロフォルムをかがされて気絶し、ヴェルードとウルラドに、アマゾニアン王国の秘宝のありかを問われて、激しい拷問を受ける。拷問を受けながらスクラルドがウルラドたちに利用されていたことを知る。そしてほぼ同時に事実を知ったスクラルドに救出される。だが、スクラルドは助けたグラマラスレディに、真の女王になる資格をかけて戦いを挑む。最初は躊躇したグラマラスレディだが、スクラルドの思いに答えて激戦を制して勝利する。満身創痍のグラマラスレディの前に現れるヴェルードとウルラド。グラマラスレディは二人に勝利できるのか!?



キャスト  沖田杏梨,茂木亜由美,大迫直子,鈴木まりえ


特撮のカテゴリに分類されます。


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「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代を散歩しているような気分になれる約60年前の映像

どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回はMichael Roggeさんという日本在住歴のあるオランダ人の方がYouTubeに投稿している「From Yokohama to Tokyo in 1958 横浜から東京まで」とタイトル付けされている映像を取り上げました。1958年は昭和33年。東京タワー完成の年であり、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代設定と同年でもあります。

この記事の完全版(映像と全キャプチャ画像付き)を見る

まずは駅のホームにやってくる電車を捉えます。行先表示は「横浜」となっています。相鉄線でしょうか。

見えにくいですが、背後に富士山、そして手前の住宅はMichael Roggeさんいわく、米軍住宅とのこと。

ここからは電車の車窓からの撮影が続きます。「よこはま」の駅名標が映っています。

途中の駅を通過していき、クハ55でしょうか、国鉄(現・JR)の電車とすれ違います。横浜を出てきていることから、すれ違ったのは国電・京浜東北線で、撮影者が乗っているのが東海道線なのかと考えられます。

近年見ることがだいぶ少なくなってきた、昔ながらの団地が見えます。

電車での移動は終わり、前回記事に引き続き浅草・仲見世です。前回記事では関東大震災以前の仲見世でしたが、震災で全焼。震災の2年後である1925年(大正14年)に再建されたものは、東京大空襲で被災しましたが、建物の外側は焼け残ったため、それを基に改築したのだそうです(仲見世HPより)。

こちらも前回記事に登場の浅草寺・本堂。ただし、国宝だった本堂は、東京大空襲で全焼し、再建されています。完成は1958年(昭和33年)10月15日なので、この映像はその直後の頃ということでしょうか。ちなみに、音声をよく聞いてみると同じセリフが何度かリピートされていることから、映像と同時に収録されたものではないのが分かります。

上部のほうまで映らず全貌は見えませんが、同じく浅草にあった「国際劇場」のようです。3枚目の画像には「松竹歌劇団」ののぼりが確認できます。発足当時の1930年代には、宝塚歌劇団と人気を争うほどだったのだそう。やがて人気は陰り、劇場は1982年(昭和57年)をもって閉鎖しています。

「仁丹歯磨」と側面に広告が掲載されている建物は、1954年(昭和29年)に建てられた「仁丹塔」。関東大震災で崩壊し、後に破壊された「十二階」の愛称で呼ばれた「凌雲閣」を模して建てられたのだそうですが、「十二階」は最上階が展望台になっていたのに対して「仁丹塔」は登ることはできませんでした。1986年(昭和61年)6月に解体されています。

映画館や劇場が立ち並ぶ、東京屈指の繁華街だった「浅草六区」です。

これまた浅草の「ちん横通商店街」のゲート。1995年(平成7年)に「浅草中央通り商店街」と名称を変更しています。

上野広小路行きのボンネットバス。趣があるデザインですね。そのボンネットバスを抜いていく都電は、ピンポイントにピントがあっていて、ミニチュア模型のようにも見えます。

手前にある瓦屋根の建物は、現在とは屋根の色が異なりますが、雷門の隣にある雷おこしの常盤堂本店のようです。雷門は、現・パナソニック創業者の松下幸之助が1960年(昭和35年)に寄進したもので、撮影時にはありません。背後に見える高い建物は、浅草松屋でしょうか。

屋根の色は変わったようですが、今もある東京メトロ浅草駅の地下鉄入り口。屋根の上の「地下鉄」という矢印がかわいい。

音声に区切りはありませんが、ここから銀座に移ります。2010年に解体された第4期の歌舞伎座です。

続いては「MONTANA」という三原橋交差点のパチンコ屋さんです。銀座・和光や銀座・三越のある有名な「銀座四丁目」交差点のお隣(南東)の交差点です。現在は名称が変わっているよう。

そして昭和の東京を映した映像の常連である、有楽町駅前にあった「日本劇場」。「歩道はあちら」という標識が気になります。どういう状況なのでしょう。

映像の最後は、おそらく銀座近辺なのでしょう、レストランのサンプルケースが捉えられます。目玉焼きののった「ハンバーグステーキ」は150円。

「ハム入りマカロニグラタン」(?)も150円、「すき焼き」は200円なり。現代感覚では激安に思えてしまいますが、いつものように参考として国家公務員の初任給の昭和33年の大卒給料を見てみると9200円でした。ざっくりと物価は20分の1程度だったと考えると、200円は全然安くなく、逆にかなり高いことが分かります。



2回続けて東京・浅草を中心に紹介した映像をピックアップしましたが、前回は今から約100年前、今回は約60年前と40年の開きがあり、さらに関東大震災と東京大空襲を挟んでのものだったので、町の様子も大きく様変わりしていました。お時間が許せば合わせてご覧ください。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)



【動画】「From Yokohama to Tokyo in 1958 横浜から東京まで」




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[2016/12/26 17:45 ] | 話題の芸能人情報 | コメント(0)
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